祖母の背中を横切り冷蔵庫の扉を開けて、私はその中に牛乳を見た。白い紙性の容器は1リットル。牛乳は牛乳だ。像は現実の模型である。かくのごとく私の痛みはあの虫の到来によって生じた。ジェームズ・ステュアートはのぞきの罰を受ける。今日の宿題は理科と決めていた。しかし牛乳を取り出すやそこには怪しげな文言が踊っているではないか。
<ボイルシャルルの法則は世界の理、気体の体積は圧力に反比例、温度には比例する!>
どうしてこのようなことが牛乳パックに記載されているのか一向にわけがわからない。理不尽に腹立たしく祖母につかつかと歩み寄り事の次第を尋ねようとするのだが私ときたら「論理学は世界の鏡像である」などと口走る始末であって彼女はきょとんとした目でこちらを凝視している。
つとめて悠然と、私は祖母に背を向けて暗い廊下にのりだす。そして私室のふすまを開け放つ。祖母が何か言っていた気がする。塾と言う名の教会におもむき社会の歓待を受けるべく算数の修行に励むのだ。否、本日は理科のはずであって算数は二の次だ。言いなおせ、無からは何も生じぬ。だが私はここに存在する。混乱は世界の姿ではない。広げたノートにかじりつきシャープペンシルを走らせる。「inre`*in+ren%"ichr&e)tin」「#&”!□(”!$★」
ナンセンスだ。私の文は無意味である。語りえず、記述もかなわず、だがそれでも思考だけはしなくてはならないはずであろうに。鎖骨下私にはあの痕跡が脈打つのがわかった。あの虫に刺された傷は小さく目立たずそれでも私の意識をささやかに占領していた。私の言葉、私の思考、もろもろの独語は魔法の中に閉じ込められたる風の癩病のごとくである。我が傷口は足下に垂れ下がり煮沸したアルコールが放出する。ジェームズステュアートは己が罪の罰をうけるのだ。開け放たれたるふすま。世界は旋回し虫の羽音がおごそかに響いている。教会へ行こう算数を行おう。何もない。barbara.世界の限界はまた論理の限界でもある。水の上数かくよりもはかなきは……
「真一、おまえ一体どうしたの?」
(了)
<ボイルシャルルの法則は世界の理、気体の体積は圧力に反比例、温度には比例する!>
どうしてこのようなことが牛乳パックに記載されているのか一向にわけがわからない。理不尽に腹立たしく祖母につかつかと歩み寄り事の次第を尋ねようとするのだが私ときたら「論理学は世界の鏡像である」などと口走る始末であって彼女はきょとんとした目でこちらを凝視している。
つとめて悠然と、私は祖母に背を向けて暗い廊下にのりだす。そして私室のふすまを開け放つ。祖母が何か言っていた気がする。塾と言う名の教会におもむき社会の歓待を受けるべく算数の修行に励むのだ。否、本日は理科のはずであって算数は二の次だ。言いなおせ、無からは何も生じぬ。だが私はここに存在する。混乱は世界の姿ではない。広げたノートにかじりつきシャープペンシルを走らせる。「inre`*in+ren%"ichr&e)tin」「#&”!□(”!$★」
ナンセンスだ。私の文は無意味である。語りえず、記述もかなわず、だがそれでも思考だけはしなくてはならないはずであろうに。鎖骨下私にはあの痕跡が脈打つのがわかった。あの虫に刺された傷は小さく目立たずそれでも私の意識をささやかに占領していた。私の言葉、私の思考、もろもろの独語は魔法の中に閉じ込められたる風の癩病のごとくである。我が傷口は足下に垂れ下がり煮沸したアルコールが放出する。ジェームズステュアートは己が罪の罰をうけるのだ。開け放たれたるふすま。世界は旋回し虫の羽音がおごそかに響いている。教会へ行こう算数を行おう。何もない。barbara.世界の限界はまた論理の限界でもある。水の上数かくよりもはかなきは……
「真一、おまえ一体どうしたの?」
(了)
嘆息すれば当然ながらも口腔よりふうというような息とも声ともつかぬものが現われねばならない。しかし現われたのは「モダスポーネンス」。蟻の行列に這われているがごとき感触で意味不明の音が流れ出す。独り言などにこの私という意識の自律を損なわれてはたまらない。
私は今ここにいる、そして独り言という脅威に自我を損なわれまいと己が思考を文字化し定着させ自律の確保、思惟の所在、不動の自己の意識を自らに明かしているのだ。この瞬間、実によい具合に私は私足り得ている。明らむといえばそれは理解を光に喩えたものに思えるくらいであり、光と理性とはやはり好相性なのである。理性が人間の必要条件と考えられたのも今は昔、もはや女、エスニックマイノリティ、エロス、死、書かれた言葉、それらを駆逐せしあだ花以外何もないモダスポーネンス。
「モダスポーネンス」
私は筆を止めた。一体何を書いているのだ。馬鹿らしい。書き損じなどしばしばあることで別段気にとめる必要もないであろうし書き損じは書き損じに違いないのだけれども、あるいはひょっとするかもしれずわたくしの意志の自律を損なわんとするあの独語が書記をも席巻したのではないでしょうか、と思わずのぞきに徹してしまうジェフの心持ちを察する。
動じることはない。のぞきという善良な市民にあるまじき罪の咎によりジェームズ・スチテュアート扮するジェフは骨折に骨折をかさねるという罰を頂戴する。ジェフは罰を頂戴する。これである。力をこめて私はシャープペンシルを握りしめる。ジェフは罰を頂戴するのだ。いざよしとノートの上に切り込むが、またもや「トートロギーウントコンストラクチオン」などとかいてありもはや日本語として認知しえぬ程である。安心するのだ。私は今ここにいる。存在する。そのことが正体不明の傍白によって損なわれるはずがないのだ。しかし筆の刻印するものは冷酷であって
「Nicht wie die Welt ist, ist das Mystische, sondern dass sie ist. 」「Wovon man nicht sprechen kann, davon muss man schweigen.」などとまあひたすらにノートは埋め尽くされていく。この記号の洪水の中で記号が何かを確保しようとしているのかもしれないなあなどと詠嘆しながら私は溺死してしまいそうであった。そもそも宿題はせずともよいのかあるいは塾で競争に励まずともよいのか。粋を気取ってそういうコンサートホールに安心を見出せ。そして己自身の平安を……。
私は筆を二つに折った。思いきりというよりも漠然と追った。どういう劇を演じているのか馬鹿馬鹿しさで一杯になったけれどももう記述など御免こうむる。語らず、書かず、私は私の思惟の内に私の自律を確保することにした。だからとりあえず冷蔵庫をあたり間食によさそうなものを探さねばなるまい。脱兎のごとく駆け出す私。
私は今ここにいる、そして独り言という脅威に自我を損なわれまいと己が思考を文字化し定着させ自律の確保、思惟の所在、不動の自己の意識を自らに明かしているのだ。この瞬間、実によい具合に私は私足り得ている。明らむといえばそれは理解を光に喩えたものに思えるくらいであり、光と理性とはやはり好相性なのである。理性が人間の必要条件と考えられたのも今は昔、もはや女、エスニックマイノリティ、エロス、死、書かれた言葉、それらを駆逐せしあだ花以外何もないモダスポーネンス。
「モダスポーネンス」
私は筆を止めた。一体何を書いているのだ。馬鹿らしい。書き損じなどしばしばあることで別段気にとめる必要もないであろうし書き損じは書き損じに違いないのだけれども、あるいはひょっとするかもしれずわたくしの意志の自律を損なわんとするあの独語が書記をも席巻したのではないでしょうか、と思わずのぞきに徹してしまうジェフの心持ちを察する。
動じることはない。のぞきという善良な市民にあるまじき罪の咎によりジェームズ・スチテュアート扮するジェフは骨折に骨折をかさねるという罰を頂戴する。ジェフは罰を頂戴する。これである。力をこめて私はシャープペンシルを握りしめる。ジェフは罰を頂戴するのだ。いざよしとノートの上に切り込むが、またもや「トートロギーウントコンストラクチオン」などとかいてありもはや日本語として認知しえぬ程である。安心するのだ。私は今ここにいる。存在する。そのことが正体不明の傍白によって損なわれるはずがないのだ。しかし筆の刻印するものは冷酷であって
「Nicht wie die Welt ist, ist das Mystische, sondern dass sie ist. 」「Wovon man nicht sprechen kann, davon muss man schweigen.」などとまあひたすらにノートは埋め尽くされていく。この記号の洪水の中で記号が何かを確保しようとしているのかもしれないなあなどと詠嘆しながら私は溺死してしまいそうであった。そもそも宿題はせずともよいのかあるいは塾で競争に励まずともよいのか。粋を気取ってそういうコンサートホールに安心を見出せ。そして己自身の平安を……。
私は筆を二つに折った。思いきりというよりも漠然と追った。どういう劇を演じているのか馬鹿馬鹿しさで一杯になったけれどももう記述など御免こうむる。語らず、書かず、私は私の思惟の内に私の自律を確保することにした。だからとりあえず冷蔵庫をあたり間食によさそうなものを探さねばなるまい。脱兎のごとく駆け出す私。
徐々に強度を増しゆく痛みを抱えながら、内心あの虫に対する疑惑を抱きはじめていた。試みにそれを発話しようとするも予想違わず、口は空をむなしく噛み砕くだけである。簡単な帰宅の挨拶もできぬことを思えば当然であろう。私の意志を表すことができなくなっているのだ。
それではと私は罫線ばかりが印刷された大学ノートを開いた。ペンで思いきり文を書きつけようと思ったのである。果たして、
私は今ここにいる。
私は今ここにいる。という文が記された。私は首をかしげてみる。この文は私の意志を裏切ってはいない。発話はできずとも記述ならばそれも可能ということらしい。何やら拍子抜けであった。試みに手近の雑誌を開くと、何を意味しているのか、対話、フィクション、観る男、フォーラム、掲載−−などただ目に入った語や文を私はごく機械的に音読していた。
私は今ここにいる。
うっかりしていた。どうしてボールペンで書いてしまったのか。これは宿題用のノートである。したがって当然明日提出せねばならぬ。己の粗忽さに鞭打たれたような思いを抱きつつ、私は修正テープでそれを消し去った。ノートの一ページに罫線が払拭され、白い穴があいてしまったかのようである。
だがむしろ重要なのは宿題をこなすことである。昨日は社会科を扱ったから今日は理科にしよう。どの科目でもかまわぬという主旨なのだから私は平均をえらぶ。なすべき課題を単調に飛び越え進みゆく、こうした平板な歩みのみで生き長らえることが可能であるのは一体いつまでなのか。この灰色の安穏は私の年齢による特権なのだろうか。
「何もない。」
机の手前にある私の頭は微動だにせず、次第に遠くなっていくような印象にとらわれた。ちょうど椅子の背もたれに肩が当たるため、ランドセルを背負っているように見える。
「人は自分が書くものを思考によって合理的に説明できると信じている。」
鎖骨の下部に痛みが走った。これらの言葉は何の前触れもなく私の口を占領する。これは私の言葉ではない。しかし発話しているのがほかならぬ私である以上、それが私の言葉であるとみなされることになってしまうのだ。しかしこれは私の意志でも思考でもない。だが一体それをどうして知らしめることができるだろう。発話の所持者はこの私でしかないというのに。
大判の教科書を横手に気体の体積が圧力に反比例するグラフを私は記していた。しかしこれは私の意志であり、この記述は私を裏切らない。私は安堵を覚え、嘆息した。
それではと私は罫線ばかりが印刷された大学ノートを開いた。ペンで思いきり文を書きつけようと思ったのである。果たして、
私は今ここにいる。
私は今ここにいる。という文が記された。私は首をかしげてみる。この文は私の意志を裏切ってはいない。発話はできずとも記述ならばそれも可能ということらしい。何やら拍子抜けであった。試みに手近の雑誌を開くと、何を意味しているのか、対話、フィクション、観る男、フォーラム、掲載−−などただ目に入った語や文を私はごく機械的に音読していた。
私は今ここにいる。
うっかりしていた。どうしてボールペンで書いてしまったのか。これは宿題用のノートである。したがって当然明日提出せねばならぬ。己の粗忽さに鞭打たれたような思いを抱きつつ、私は修正テープでそれを消し去った。ノートの一ページに罫線が払拭され、白い穴があいてしまったかのようである。
だがむしろ重要なのは宿題をこなすことである。昨日は社会科を扱ったから今日は理科にしよう。どの科目でもかまわぬという主旨なのだから私は平均をえらぶ。なすべき課題を単調に飛び越え進みゆく、こうした平板な歩みのみで生き長らえることが可能であるのは一体いつまでなのか。この灰色の安穏は私の年齢による特権なのだろうか。
「何もない。」
机の手前にある私の頭は微動だにせず、次第に遠くなっていくような印象にとらわれた。ちょうど椅子の背もたれに肩が当たるため、ランドセルを背負っているように見える。
「人は自分が書くものを思考によって合理的に説明できると信じている。」
鎖骨の下部に痛みが走った。これらの言葉は何の前触れもなく私の口を占領する。これは私の言葉ではない。しかし発話しているのがほかならぬ私である以上、それが私の言葉であるとみなされることになってしまうのだ。しかしこれは私の意志でも思考でもない。だが一体それをどうして知らしめることができるだろう。発話の所持者はこの私でしかないというのに。
大判の教科書を横手に気体の体積が圧力に反比例するグラフを私は記していた。しかしこれは私の意志であり、この記述は私を裏切らない。私は安堵を覚え、嘆息した。
暑さのためか赤く充血した指の腹を胴のわきにぶらさげると私は茫漠と青信号を待ち、本日の自学自習の宿題に何を扱おうかと思案した。分数の計算、敬語の使用法、液状になった言語の航路、そして届かぬ羽音……。
「何もない。」
思考を切断するように独り言が漏れた。
「言いなおせ。AA氏は何も意味しない。」
しわがれた、きりきりとした高い声が身体に残響していた。信号が青に変わる。私は顔を伏せ、口を結んで道を横切った。独り言は予期せずに訪れる。そして私の意志には麻酔が打たれ、人形のごとく操られてしまいまるで言葉が自動的に口から漏れて来るかのようである。私の意志ではどうにもならぬこの厄介な客人が頻繁に扉を叩くようになったのはいつからであったろう。しかもこの自動的な言葉を語るとき私は何かを表現するためではなくただ純粋に言葉を語っているのである。だがその後我にかえると決まってやるかたない後悔へと沈んで行くことになる。
「無からは何も生じぬ。」
私は駆け出した。先ほどの虫に刺された首を思い出した。小さな裏山へと続く長い坂を横切り、八百屋を、銀行を、蒲団屋を横切りそして買い物かごを釣り下げた老女たちとすれ違いながら私は自宅の赤黒い瓦屋根の方へと飛び込んでいった。
見慣れた黒電話がおいてある玄関口があった。居間からはテレビジョンの過剰な音声が流れてくる。おそらく祖母がまたサスペンス映画を観ているのであろう。私は靴を脱ぎ機械的にただいまと言った。そのつもりであった。しかし聞こえるのはテレビジョンから発せられる英語と思しき男女の会話のみである。
声が出せない。確認の為もう一度口を動かすがやはり声は出ないようである。私は虫を潰した指の腹をこすった。訝しみながらも居間に行くとやはりそこには祖母が居て、テレビ画面には裏窓から殺人容疑の男の部屋を見つめているジェームズ・ステュアートとグレイス・ケリーが映っている。
私の姿を認めると祖母は帰宅の際は挨拶をしろと注意した。わかっていると返事をしようとした。が、やはり発話は行われず先程同様不発に終わった。致し方なく深く頷いてみせようとした。しかし、それもかなわなかった。それでも祖母はさほど気にも止めず、疑惑の念を募らせるジェームズ・ステュアートに向き直っていた。
六畳ばかりの勉強部屋に入ると私は改めて奇妙な思いにとらわれた。語るべきことが混然として明瞭な輪郭を持たぬ時は、適切な語を見出せず口ごもり、声も出ないという時はある。だが。先程語ろうとしていることは単純で明白であった。私の意志は「ただいま」や「わかっている」というただそれだけのものである。
左の鎖骨が鈍く痛みを持ち始めた。潰れる虫の感触が蘇る。私は自動的にランドセルを椅子にかけ、給食袋やノート、筆記用具、教科書ならびに資料集の類を取り出した。
「どんな記号が使われるかは恣意的である。」
私はまばたきを二回した。
「しかしその表現方法が可能であることは常に重要である。」
私は二度頭を振ってみた。遠くまで響く耳鳴りがあった。私の現実とは無関係に、自動的に発せられるそうした言葉は私を気まずい思いにいたらしめた。血脈に応じて疼く鈍い痛みに、私はやはりあの羽虫を思っていた。
「何もない。」
思考を切断するように独り言が漏れた。
「言いなおせ。AA氏は何も意味しない。」
しわがれた、きりきりとした高い声が身体に残響していた。信号が青に変わる。私は顔を伏せ、口を結んで道を横切った。独り言は予期せずに訪れる。そして私の意志には麻酔が打たれ、人形のごとく操られてしまいまるで言葉が自動的に口から漏れて来るかのようである。私の意志ではどうにもならぬこの厄介な客人が頻繁に扉を叩くようになったのはいつからであったろう。しかもこの自動的な言葉を語るとき私は何かを表現するためではなくただ純粋に言葉を語っているのである。だがその後我にかえると決まってやるかたない後悔へと沈んで行くことになる。
「無からは何も生じぬ。」
私は駆け出した。先ほどの虫に刺された首を思い出した。小さな裏山へと続く長い坂を横切り、八百屋を、銀行を、蒲団屋を横切りそして買い物かごを釣り下げた老女たちとすれ違いながら私は自宅の赤黒い瓦屋根の方へと飛び込んでいった。
見慣れた黒電話がおいてある玄関口があった。居間からはテレビジョンの過剰な音声が流れてくる。おそらく祖母がまたサスペンス映画を観ているのであろう。私は靴を脱ぎ機械的にただいまと言った。そのつもりであった。しかし聞こえるのはテレビジョンから発せられる英語と思しき男女の会話のみである。
声が出せない。確認の為もう一度口を動かすがやはり声は出ないようである。私は虫を潰した指の腹をこすった。訝しみながらも居間に行くとやはりそこには祖母が居て、テレビ画面には裏窓から殺人容疑の男の部屋を見つめているジェームズ・ステュアートとグレイス・ケリーが映っている。
私の姿を認めると祖母は帰宅の際は挨拶をしろと注意した。わかっていると返事をしようとした。が、やはり発話は行われず先程同様不発に終わった。致し方なく深く頷いてみせようとした。しかし、それもかなわなかった。それでも祖母はさほど気にも止めず、疑惑の念を募らせるジェームズ・ステュアートに向き直っていた。
六畳ばかりの勉強部屋に入ると私は改めて奇妙な思いにとらわれた。語るべきことが混然として明瞭な輪郭を持たぬ時は、適切な語を見出せず口ごもり、声も出ないという時はある。だが。先程語ろうとしていることは単純で明白であった。私の意志は「ただいま」や「わかっている」というただそれだけのものである。
左の鎖骨が鈍く痛みを持ち始めた。潰れる虫の感触が蘇る。私は自動的にランドセルを椅子にかけ、給食袋やノート、筆記用具、教科書ならびに資料集の類を取り出した。
「どんな記号が使われるかは恣意的である。」
私はまばたきを二回した。
「しかしその表現方法が可能であることは常に重要である。」
私は二度頭を振ってみた。遠くまで響く耳鳴りがあった。私の現実とは無関係に、自動的に発せられるそうした言葉は私を気まずい思いにいたらしめた。血脈に応じて疼く鈍い痛みに、私はやはりあの羽虫を思っていた。
常と変わらぬランドセルを背に下校より今しばらく、平生の腐臭がただよってきた。ふもとのごみ収集所を後目に、我が家への一歩を確かにする上り坂を歩み始めた。
私は目下塾などという小洒落たコンサートホールには縁がない。縁を起こしてその演奏会へ赴けば算数の五〇点が八〇点となり、すなわちこの社会に適した人間として歓待を受けるのであろう。だがこうした歓待は幻想であり、所詮塾は看守のいない訓練所である。だから学習意欲のない者が入ったところでいかなる技術も修得しうるはずがないのだ。それでも不安がちな保護者は塾がコンサートホールであるという幻想に安堵を感ずる。そしてその洗礼を受ければなにがしかの御利益もあるいは、と期待する。授業料とはこの安堵と期待の対価なのだと私は信じている。金銭を払い、塾という象徴を通じ、安堵というひとつの心情を購入するのである。何となれば喜怒哀楽や愛憎とてもこうした象徴と金銭を交換することで購入せらるるのではなかろうか。この喜びは三〇円、悲しみは十万円と、またこちらの愛は二足三文あちらの愛は国家予算をゆうゆう越えるなどと値踏みする市場。なるほどおまえの愛はいくらかと父王に尋ねられ、「何もない」と答えるコーディリアはまこと情深い娘である。
私の胸元に何かが刺さった。微弱な痛みがあった。あわてて左側の鎖骨下に手をやると、生物の潰れていく水っぽい感触が広がる。指にへばりついたそれを見ると、黒い体液に混じり羽のようなものがさらに六枚ほど確認できた。脚は見あたらぬ。無論蜂や虻のたぐいであるはずもない。胸元には痒さも痛みもなかった。これは幸運なのかそれとも私の感覚が機能しなくなったのか。皮膚には毛細血管の一本たりとも損傷を受けた形跡がなかったのである。私の赤らんだ皮膚は尋常に汗ばみ、尋常に私の内容物を覆っているようであった。
私は常備しているポケットティシューを取り出し虫の残骸をぬぐい去った。余計な意識の流れに身を任せるのは決して好ましいことではない。ランドセルも軽くはないし早々に帰宅しよう。そしてこの社会に順応すべく学問でもすればよろしい。黙々と我が家は近付いて来る。この坂は愛想のないあばら家に挟まれ影を落とし、冷涼として静寂である。自転車で颯爽と駆け下りたらさぞ愉快なことだろう……。坂を上りきっても粘着性の臭気がまだ鼻に届く。見なれぬあの虫はふもとのふきだまりから生まれたのだろうか。横断歩道の前に来た私は思わず自分の指を見つめた。
私は目下塾などという小洒落たコンサートホールには縁がない。縁を起こしてその演奏会へ赴けば算数の五〇点が八〇点となり、すなわちこの社会に適した人間として歓待を受けるのであろう。だがこうした歓待は幻想であり、所詮塾は看守のいない訓練所である。だから学習意欲のない者が入ったところでいかなる技術も修得しうるはずがないのだ。それでも不安がちな保護者は塾がコンサートホールであるという幻想に安堵を感ずる。そしてその洗礼を受ければなにがしかの御利益もあるいは、と期待する。授業料とはこの安堵と期待の対価なのだと私は信じている。金銭を払い、塾という象徴を通じ、安堵というひとつの心情を購入するのである。何となれば喜怒哀楽や愛憎とてもこうした象徴と金銭を交換することで購入せらるるのではなかろうか。この喜びは三〇円、悲しみは十万円と、またこちらの愛は二足三文あちらの愛は国家予算をゆうゆう越えるなどと値踏みする市場。なるほどおまえの愛はいくらかと父王に尋ねられ、「何もない」と答えるコーディリアはまこと情深い娘である。
私の胸元に何かが刺さった。微弱な痛みがあった。あわてて左側の鎖骨下に手をやると、生物の潰れていく水っぽい感触が広がる。指にへばりついたそれを見ると、黒い体液に混じり羽のようなものがさらに六枚ほど確認できた。脚は見あたらぬ。無論蜂や虻のたぐいであるはずもない。胸元には痒さも痛みもなかった。これは幸運なのかそれとも私の感覚が機能しなくなったのか。皮膚には毛細血管の一本たりとも損傷を受けた形跡がなかったのである。私の赤らんだ皮膚は尋常に汗ばみ、尋常に私の内容物を覆っているようであった。
私は常備しているポケットティシューを取り出し虫の残骸をぬぐい去った。余計な意識の流れに身を任せるのは決して好ましいことではない。ランドセルも軽くはないし早々に帰宅しよう。そしてこの社会に順応すべく学問でもすればよろしい。黙々と我が家は近付いて来る。この坂は愛想のないあばら家に挟まれ影を落とし、冷涼として静寂である。自転車で颯爽と駆け下りたらさぞ愉快なことだろう……。坂を上りきっても粘着性の臭気がまだ鼻に届く。見なれぬあの虫はふもとのふきだまりから生まれたのだろうか。横断歩道の前に来た私は思わず自分の指を見つめた。