「虫」2

2005年1月3日 文書
 暑さのためか赤く充血した指の腹を胴のわきにぶらさげると私は茫漠と青信号を待ち、本日の自学自習の宿題に何を扱おうかと思案した。分数の計算、敬語の使用法、液状になった言語の航路、そして届かぬ羽音……。
「何もない。」
思考を切断するように独り言が漏れた。
「言いなおせ。AA氏は何も意味しない。」
 しわがれた、きりきりとした高い声が身体に残響していた。信号が青に変わる。私は顔を伏せ、口を結んで道を横切った。独り言は予期せずに訪れる。そして私の意志には麻酔が打たれ、人形のごとく操られてしまいまるで言葉が自動的に口から漏れて来るかのようである。私の意志ではどうにもならぬこの厄介な客人が頻繁に扉を叩くようになったのはいつからであったろう。しかもこの自動的な言葉を語るとき私は何かを表現するためではなくただ純粋に言葉を語っているのである。だがその後我にかえると決まってやるかたない後悔へと沈んで行くことになる。
「無からは何も生じぬ。」
 私は駆け出した。先ほどの虫に刺された首を思い出した。小さな裏山へと続く長い坂を横切り、八百屋を、銀行を、蒲団屋を横切りそして買い物かごを釣り下げた老女たちとすれ違いながら私は自宅の赤黒い瓦屋根の方へと飛び込んでいった。
 見慣れた黒電話がおいてある玄関口があった。居間からはテレビジョンの過剰な音声が流れてくる。おそらく祖母がまたサスペンス映画を観ているのであろう。私は靴を脱ぎ機械的にただいまと言った。そのつもりであった。しかし聞こえるのはテレビジョンから発せられる英語と思しき男女の会話のみである。
 声が出せない。確認の為もう一度口を動かすがやはり声は出ないようである。私は虫を潰した指の腹をこすった。訝しみながらも居間に行くとやはりそこには祖母が居て、テレビ画面には裏窓から殺人容疑の男の部屋を見つめているジェームズ・ステュアートとグレイス・ケリーが映っている。
 私の姿を認めると祖母は帰宅の際は挨拶をしろと注意した。わかっていると返事をしようとした。が、やはり発話は行われず先程同様不発に終わった。致し方なく深く頷いてみせようとした。しかし、それもかなわなかった。それでも祖母はさほど気にも止めず、疑惑の念を募らせるジェームズ・ステュアートに向き直っていた。
 六畳ばかりの勉強部屋に入ると私は改めて奇妙な思いにとらわれた。語るべきことが混然として明瞭な輪郭を持たぬ時は、適切な語を見出せず口ごもり、声も出ないという時はある。だが。先程語ろうとしていることは単純で明白であった。私の意志は「ただいま」や「わかっている」というただそれだけのものである。
 左の鎖骨が鈍く痛みを持ち始めた。潰れる虫の感触が蘇る。私は自動的にランドセルを椅子にかけ、給食袋やノート、筆記用具、教科書ならびに資料集の類を取り出した。
「どんな記号が使われるかは恣意的である。」
 私はまばたきを二回した。
「しかしその表現方法が可能であることは常に重要である。」
 私は二度頭を振ってみた。遠くまで響く耳鳴りがあった。私の現実とは無関係に、自動的に発せられるそうした言葉は私を気まずい思いにいたらしめた。血脈に応じて疼く鈍い痛みに、私はやはりあの羽虫を思っていた。

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