小説/「虫」1

2004年12月31日 文書
 常と変わらぬランドセルを背に下校より今しばらく、平生の腐臭がただよってきた。ふもとのごみ収集所を後目に、我が家への一歩を確かにする上り坂を歩み始めた。
 私は目下塾などという小洒落たコンサートホールには縁がない。縁を起こしてその演奏会へ赴けば算数の五〇点が八〇点となり、すなわちこの社会に適した人間として歓待を受けるのであろう。だがこうした歓待は幻想であり、所詮塾は看守のいない訓練所である。だから学習意欲のない者が入ったところでいかなる技術も修得しうるはずがないのだ。それでも不安がちな保護者は塾がコンサートホールであるという幻想に安堵を感ずる。そしてその洗礼を受ければなにがしかの御利益もあるいは、と期待する。授業料とはこの安堵と期待の対価なのだと私は信じている。金銭を払い、塾という象徴を通じ、安堵というひとつの心情を購入するのである。何となれば喜怒哀楽や愛憎とてもこうした象徴と金銭を交換することで購入せらるるのではなかろうか。この喜びは三〇円、悲しみは十万円と、またこちらの愛は二足三文あちらの愛は国家予算をゆうゆう越えるなどと値踏みする市場。なるほどおまえの愛はいくらかと父王に尋ねられ、「何もない」と答えるコーディリアはまこと情深い娘である。
 私の胸元に何かが刺さった。微弱な痛みがあった。あわてて左側の鎖骨下に手をやると、生物の潰れていく水っぽい感触が広がる。指にへばりついたそれを見ると、黒い体液に混じり羽のようなものがさらに六枚ほど確認できた。脚は見あたらぬ。無論蜂や虻のたぐいであるはずもない。胸元には痒さも痛みもなかった。これは幸運なのかそれとも私の感覚が機能しなくなったのか。皮膚には毛細血管の一本たりとも損傷を受けた形跡がなかったのである。私の赤らんだ皮膚は尋常に汗ばみ、尋常に私の内容物を覆っているようであった。
 私は常備しているポケットティシューを取り出し虫の残骸をぬぐい去った。余計な意識の流れに身を任せるのは決して好ましいことではない。ランドセルも軽くはないし早々に帰宅しよう。そしてこの社会に順応すべく学問でもすればよろしい。黙々と我が家は近付いて来る。この坂は愛想のないあばら家に挟まれ影を落とし、冷涼として静寂である。自転車で颯爽と駆け下りたらさぞ愉快なことだろう……。坂を上りきっても粘着性の臭気がまだ鼻に届く。見なれぬあの虫はふもとのふきだまりから生まれたのだろうか。横断歩道の前に来た私は思わず自分の指を見つめた。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索